滝の城は、狭山丘陵の一角が低地に向かって落ちる急な
崖を利用し、東南方を流れる柳瀬川を防御線とした平山
城で、その敷地は約六万六千平方メートルである。
現在でも本丸を中心とした遺構が良く保存されている。
本丸は柳瀬川を眼下に見下ろす城の東南部に位置し、現
在の社殿は櫓台跡の上にある。本丸の北西には、空堀を
へだてて二の郭的な曲輪があり、城はこの方向にいくつ
かの曲輪を配したようで、部分的に遺構が残存している。
また、大手は、さらに北方に所在していたとみられている。
この滝の城は、北条氏照の持城と考えられ、滝山城(永
禄十三年の戦いの後、八王子上に移る)の支城といわれ
ている。
永禄七年(一五六四)の北条氏の清戸番衆交代命令状を
見ても、清戸下宿に番所があって固めてあり、城の防備
と密接な関係があったと推定される。
天正十八年(一五九〇)、豊臣秀吉の小田原城攻略の際、
落城したものと考えられている。
大正一四年三月三一日付けで埼玉県指定史跡となってい
る。
昭和六十年三月
埼玉県
所沢市