東京都指定史跡
所在地 葛飾区青戸七丁目二一番外
指定 平成十年三月十三日
葛西城は、中川の沖積微高地上に築かれた平城である。
葛西城は、中川の沖積微高地上に築かれた平城である。
沖積地に存在しているため、地表で確認できる遺構は認められない。
築造者と築造の年代については不明であるが、天文七年(一五三八)
二月には、北条氏綱によって葛西城が落城されたという記録(快元僧都記)
があり、この後、葛西城は後北条氏の一支城となり、幾多の争乱の舞台となった。
後北条氏の滅亡後、葛西城は徳川氏の支配下にはいり、葛西城の跡は、
将軍の鷹狩りの際の休憩・宿舎(青戸御殿)として利用されていた。
東京都教育委員会より抜粋
東京都教育委員会より抜粋
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